2021/10/17

聖霊降臨節第二十二主日礼拝

ルカによる福音書第24章28節から43節

復活した主イエスは、弟子達の前に姿を現わします。それは何故でしょうか。

2021/10/10

聖霊降臨節第二十一主日礼拝

ルカによる福音書第24章13節から35節

​美しいエマオの物語には、試練の中にあった人々と教会を支えてきた復活のキリストとの出会いが描かれています。信仰者を復活のキリストとの出会いへと導く説教と聖餐について考えてみました。

2021/10/03

聖霊降臨節第二十主日礼拝

ルカによる福音書第24章13節から32節

​新約聖書の中でも指折りの美しい物語である「エマオへの道でのイエス・キリストの顕現」。しかし、美しいだけではなく、ここには多くの信仰者の課題が描かれています。復活の主イエスの臨在を確信することです。エマオの途上にあった弟子達と彼らを追いかけ共に旅したキリストの物語に聴いてみましょう。

2021/9/26

聖霊降臨節第十九主日礼拝

ルカによる福音書第24章1節から12節

​主イエスが十字架に死んで葬られた後、三日目に復活したことを受けいれ、信じることは奇跡です。この奇跡は、どのようにして起こるのでしょうか。

2021/9/19

聖霊降臨節第十八主日礼拝

コリント信徒への手紙Ⅰ 15:12~20

イエス・キリストが、十字架刑で死んだ後、三日目に甦ったことの意味を考えて見ました。

2021/9/5

聖霊降臨節第十六主日礼拝

ルカによる福音書第23章50節から56節

イエスは十字架上で死に、その遺体は葬られます。教会は、聖書は、その最初からイエス・キリストの葬りを丁寧に描きます。何故でしょうか。キリストの葬りの意味を考えました。

2021/8/29

聖霊降臨節第十五主日礼拝

ルカによる福音書第23章44節から49節

 

イエス・キリストの最期を描くルカによる福音書のテキスト。ルカの教会が語る神の独り子の十字架に目を凝らし、耳を傾けましょう。

2021/8/22

聖霊降臨節第十四主日礼拝

ルカによる福音書第23章32節から34節、39節~43節

 

​「されこうべ」と呼ばれる丘に立てられた主イエスを中心とした三本の十字架こそ、最初の教会だとバルトは言いました。その通りです。だからこそ、私達教会は、「はっきり言っておく。あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」という命の約束をイエスから聞き、感染症が蔓延する死の地にいても、主と共に楽園に生きる命を与えられます。

2021/8/15

聖霊降臨節第十三主日礼拝

ルカによる福音書第23章32節から39節

 

​十字架の主イエス・キリストこそ、罪と死に囚われている私達を救い出すために僕となられたまことの王です。皮肉にも十字架の主を嘲り、侮辱し、罵る言葉がそれを証していました。

2021/8/8

聖霊降臨節第十二主日礼拝

ルカによる福音書第23章32節から34節

 

​イエス・キリストの苦難と死の物語は、自身を釘づけにする者達の救い主になってくださる神の物語。私たちも又、その物語を生きる者です。

2021/8/1 

聖霊降臨節第十一主日礼拝

ルカによる福音書第23章26節から31節

 

​十字架への道を歩む主イエス。女たちに何を仰ったのでしょうか。心に刻みたいと願います。

2021/7/25 

聖霊降臨節第十主日礼拝

ルカによる福音書第23章13節から25節

 

主イエスの苦難と苦しみの物語は、私達の物語でもあります。自分達の地位や名誉、富を守るためにイエスを殺そうとするユダヤ人権力者、群衆の勢いに負けて正義に徹しきれないピラト、殺人者バラバを釈し主イエスを「十字架につけろ」「十字架につけろ」と叫ぶ民衆。私たちは、この物語のどこにいるのでしょうか。

2021/7/18 

聖霊降臨節第九主日礼拝

ルカによる福音書第23章1節から12節

遂にローマ総督・ポンティオ・ピラトの前に引き出された主イエス。祭司長達の偽証によって謀反人として訴え出られます。ですが、この裁判で主イエスこそ

<真の王であり、人間では就くことができない玉座に登ろうとされているのです。

 

2021/7/11  

聖霊降臨節第八主日礼拝

ルカによる福音書第22章63節から71節

最高法院の裁判の席、主イエスが何者かが明らかになります。<メシア(キリスト)>であり、<人の子であり、<神の子>である主イエス。この主を信じて生きる事とはどういう事なのか、考えてみました。
 

2021/7/04  

聖霊降臨節第七主日礼拝

ルカによる福音書第22章54節から62節

​逮捕された主イエスを追って大祭司の屋敷に潜入したペトロ。しかし、屋敷の者に見つかり、主イエスを三回も「あんな奴知らない、関係ない」と否認します。すると鶏が鳴き、「主イエスは振り返ってペトロを見つめた」とルカは記します。主の眼差しに我に返ったペトロ、屋敷の外に出て激しく泣きました。ペトロは、どうして泣くだけで、「自分は主の弟子だ」と大祭司の屋敷の者達に告白しなかったのでしょうか?

2021/6/27  

聖霊降臨節第六主日礼拝

ルカによる福音書第22章47節から53節

​主イエスは、遂にイスカリオテのユダに裏切られ、押し寄せて来た祭司長達、神殿守衛長達、長老たちに逮捕されます。しかし、この場面を支配していたのは、他ならぬ主イエスでした。

2021/6/13  

聖霊降臨節第四主日礼拝

ルカによる福音書第22章39節から46節

​主イエスは、弟子達に「誘惑に入り込まないよう、祈っていなさい」と仰り、自身は少し離れた所でひざまづいて祈られます。悶え苦しみ、血の汗を滴らせつつ。どうして神の御子である主イエスがこのように苦しみ悶えねばならなかったのでしょうか?何のために? 主は最後に弟子達に「誘惑に入り込まないよう、起きて祈っていなさい」と仰います。この言葉には主イエスの深い愛が込められています。一緒にルカによる福音書に聴いてゆきましょう。

2021/6/6  

聖霊降臨節第三主日礼拝

ルカによる福音書第22章35節から38節

​主イエスは、使徒達に「剣のない者は、服を売って剣​を買いなさい」とおっしゃいます。主は、「武力をもって敵と対抗しなさい」と仰っているのでしょうか。主イエスの最初の聖餐の食卓での最後の言葉に耳を傾けたいと思います。

2021/5/30  聖霊降臨節第二主日礼拝

ルカによる福音書第22章19節から34節

​コロナ禍の中、自分達の弱さとの闘いの中にある私達。改革者カルヴァンは、「自分の弱さとのあらゆる闘いのさなかに不安が極まるとき、信仰へと逃れる者は、既に大部分で勝利を収めている。」と言いました。カルヴァンの言う「自分の弱さとのあらゆる闘いに勝利を収める信仰」について、聖餐のテーブルについた主イエスと使徒たちの物語に聴きました。

2021/5/23  聖霊降臨祭礼拝

ルカによる福音書第22章31節から34節

使徒言行録第2章抜粋

​私達はそれぞれにストーリーをもって生きています。私達が変わるとは、私達のストーリーが新しく書き換えられるということ。使徒ペトロのストーリーは、聖霊を受けてどのように変わっていったのでしょうか。使徒ペトロの物語から聞いていきます。

2021/5/16  復活節第七主日礼拝

ルカによる福音書第22章24節から34節

​主イエスは、最初の聖餐の食卓で、使徒たちに向かって「弟子達の中で一番偉い者は仕える者のようになりなさい」と仰いました。主の言われる「仕える者」とはどのような者なのでしょうか。

2021/5/9  復活節第六主日礼拝

ルカによる福音書第9章14節から23節

​山の上で主の姿が変貌した出来事は、イエス・キリストの救いの出来事を父なる神が「よし」と承認された証でした。

2021/5/2 復活節第五主日礼拝

ルカによる福音書第22章14節から23節

​聖餐について、主の言葉に聴いてみました。

2021/4/25 復活節第四主日礼拝

ルカによる福音書第22章1節から13節

​聖書66全巻のクライマックス、イエスの受難物語がいよいよ幕を明けます。ルカは、その最初、序幕から、受難物語にとって、とても大切なことを描き込んでいます。

2021/4/18 復活節第三主日礼拝

ルカによる福音書第21章29節から38節

「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。」という”時代”はどういう時代なのでしょうか。また、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」とはどういう意味があるのでしょうか。

2021/4/11 復活節第二主日礼拝

ルカによる福音書第21章20節から28節

ペトロの手紙Ⅱ第3章8節から13節

 

終わりの時を考え、主の再臨を待つことは愚かな事でしょうか。いえ、そうではありません。終わりの時とはどういう時か、主イエスの御言葉と、使徒ペトロの後継者の言葉に聞きました。

2021/4/4  復活祭礼拝

ヨハネによる福音書20:24~31

​私達は、死に囲まれて生きています。が、「死」は私達にとって、最終的な回答ではなくなりました。イエス・キリストが復活して弟子達と出会ってくださったからです。甦りの主イエスと疑い惑うトマスとの出会いを見て行きます。

2021/3/28  受難週主日礼拝

ルカによる福音書 21:20~24

​弱さとは罪なのか?罪とは一体なんなのでしょうか。主イエスのエルサレム滅亡の預言の背後にある罪への深い悲しみから、罪とは何か?聴いてみました。

2021/3/21  受難節第五主日礼拝

ルカによる福音書 21:7~19

終わりの時に生きる私達が、イエス様を証するとは、この世界を変革することではなく、別の新しい世界があることを指し示す事です。

2021/3/14 受難節第四主日礼拝

ルカによる福音書 21:5~21:9

主イエスが語る「終わりの時」とは、そして「終わりの徴」とはどんなものでしょうか?

2021/3/07 受難節第三主日礼拝

ルカによる福音書 21:1~21:6

ローマ信徒への手紙 12:1~8

「決して滅びない神殿」とは何なのでしょうか?二レプトン銅貨をささげた寡婦と、ローマ書第12章のパウロの言葉から考えてみました。

2021/2/28 受難節第二主日礼拝

ルカによる福音書 20:45~21:4

人に評価されたい律法学者達と二レプトン銅貨をささげた寡婦。両者は何がどう異なっているのか、考えてみました。

2021/2/21 受難節第一主日礼拝

ルカによる福音書 20:41~20:44

「どうしてメシアがダビデの子なのか」と主は問いかけられます。それは、「メシアとは何者なのか」という問いかけです。あなたは、なんと答えますか?

2021/2/14 降誕節第八主日礼拝

ルカによる福音書 20:27~20:40

神の国では結婚はないようです。何故でしょうか。イエスさまが教えてくれます。私達は人間社会の現実の延長として神の国を考えてしまいます。でも、神の国がそんな陳腐である筈はありません。

2021/2/07 降誕節第七主日礼拝

ルカによる福音書 20:19~20:26

​「皇帝に税金を納めるべきかどうか」と問う律法学者や祭司長達の回し者達に対し、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と鮮やかに返答した主イエス。この主の言葉に聴いてみました。

2021/1/31 降誕節第六主日礼拝

ルカによる福音書 20:09~20:19

​神が造り上げようとされている新しい家、主イエスに従う者達の共同体とは、どのようなものでしょうか。「邪悪な農夫の譬え」から聖書に聴いてみました。

2021/1/17 降誕節第四主日礼拝

ルカによる福音書 19:49~20:08

​神殿の境内で民衆に教える主イエスに、祭司長や律法学者達が、「なんの権威でそのような事をするのか?」と問い詰めます。この時の主の応答から、権威とは何か?人の権威と神の権威はとう違うのか?を考えてみました。

2021/1/10  降誕節第三主日礼拝

ルカによる福音書 19:41~48

​エルサレム入城の前に、都を見て、「あぁ、お前がこの日に平和への道をわきまえていたら…」と慟哭された主イエス。エルサレムの人々がわきまえていなかった「平和への道」、どうしたら知る事ができるのでしょうか。

2021/1/3  降誕節第二主日礼拝

ルカによる福音書 2:21~35

​緊急事態宣言が要請されるという不安の中での船出となった2021年。周囲の状況に振り回される事なく、平安のうちに歩む為には、確かな目標が必要です。私達の命の確かな目標についてシメオンの賛歌ヌンク・ディミティスから考えてみました。

2020/12/27  降誕節第一主日礼拝

ルカによる福音書 19:28~38

​「あなたの主が必要としているのです」私達は、生きる時も死ぬ時も、主イエス・キリストのもの。この主イエスだけを頼りに、冒険へと赴く事こそ、主と共にある平安の命です。

2020/12/20  クリスマス礼拝

ルカによる福音書 2:1~21

クリスマスは、私達に呼びかけます。自分の安全な場所を出て、飼い葉桶に人となった救い主のもとに行きなさい…と。

2020/12/13   待降節第三主日

ルカによる福音書 19:11~27

「我々はこの人を王にいただきたくない」と神を神としたくない心の闇が私達の内にはあります。この闇を克服する為に、主イエスは十字架についてくださいました。

2020/12/06 待降節第二主日

ルカによる福音書 19:1~10

ザアカイは、どうして木に登ってまで、主イエスを一目見ようとしたのか、その事を考えていくと、

​この物語には、イエス・キリストとの出会いのエッセンスが詰まっている事が分かりました。