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横浜ナザレン教会とは?

 

日本ナザレン教団横浜教会(通称:横浜ナザレン教会)は、日本ナザレン教団に属するプロテスタント教会であり、福音主義神学を標榜しています。

◆沿革

 1950年(昭和25年)12月4日、喜田川広師夫妻と進駐軍の三名の米兵とその家族の捧げたクリスマス礼拝が最初の横浜ナザレン教会の礼拝でした。出席者数は14名と記録されています。喜田川広師は、若い頃、渡米し、アメリカでキリストと出会い、ナザレン教団の信徒となりました。その後、日本に戻って、出身地の熊本に日本で最初の熊本ナザレン教会をひらき、日本ナザレン教団を基を築きました。戦後、日本ナザレン教団総裁(当時)のエコール師と進駐軍の米兵の求めに応え、京都の本町教会より関東にやってこられ、横浜ナザレン教会をひらきました。この米兵三人をはじめとした進駐軍関係者のささげものにより、横浜市西区霞ヶ丘に土地と礼拝堂が与えられました。最初の礼拝堂は米軍の施設(かまぼこ兵舎)を流用したものでした。礼拝堂建て替えの為に喜田川広師・豊子夫人は、数ヶ月に渡ってアメリカ各地を訪れ、様々な集会で捧げものを募られました。日米の多くの方々の祈りに神がお応えくださり、新しい礼拝堂が捧げられ、今日へと至っております。
 広師引退後、長男の喜田川信師が横浜ナザレン教会の牧師に就任したのが1959年(昭和34年)です。喜田川信師は、アメリカ・ドイツに留学し神学研究に励まれました。日本キリスト教短期大学(JCJC)教授・学長・日本ナザレン教団理事長・日本ナザレン神学校教授・校長、日本聖書神学校教授などを歴任され、数々の著作も著しておられます。日本ナザレン教団に正統的神学を導入した喜田川信師の、力強い神学校の講義は多くの若い神学生を魅了し、20世紀後半の日本ナザレン教団の神学を導いてきました。喜田川信師は2017年まで約58年間、横浜ナザレン教会牧師の職にありました。

 2017年春、喜田川信師の引退をうけ、渡邉洋子牧師が横浜ナザレン教会の三代目の牧師として赴任してきました。

◆特徴

 ある教会員がこう言いました。「俺は無学だし難しいことは何にも分からないよ。だけど、俺を救ってくれるのはイエス・キリストだけなんだ!それだけはたしかなんだ」。これが横浜ナザレン教会の信仰です。「キリストのみ」なのです。

 ですから、横浜ナザレン教会は非常に自由な教会です。「○○すべき」という言葉は最小限です。しかし、十字架と復活を聖書から取り次ぐ説教を中心とした礼拝は全力です。この礼拝を中心に活動しています。

 また強い者が弱い者を支配し、弱い者は強い者におもねる・・そんな社会の価値観とは一線を画し、「主のみ前では、奴隷も自由人も、ギリシア人もユダヤ人も、男も女もない」という聖書の中のパウロの言葉の実現を目指しています。ですから、奉仕を強要する事はありません。それぞれができる事で主に仕えることを目指しています。

 また正直な教会です。横浜ナザレン教会で敬虔ぶる必要はありません。みんなひとり残らず、神の前では罪赦された罪人です。自分の信仰で義とされようという自己義認や、自分の力で清められよう・・とする自己聖化は人間が好む事ではありますが、聖書のメッセージではありません。教会は罪を犯しやすい者たちの集まりであるからこそ、「我らを救うのはただキリストのみ」この一事に立ち続けたいと常に祈っている横浜ナザレン教会です。横浜ナザレン教会に来て聞けるのは、イエス・キリストの事のみです。でも、キリストのみが人を新しく創り変え、豊かに生かします。このキリストの事を伝えたい、それだけです。是非、横浜ナザレン教会においでください。お待ちしています。

​                                              文責:横浜ナザレン教会 牧師 渡邉洋子

十字架と復活を聖書から取り次ぐ説教を中心とした礼拝は全力です。この礼拝を中心に活動しています。
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